相模国三ノ宮・比々多神社

今日は何の日?

比々多神社宝運暦

私たちの祖先は、日々の暮らしを営むうえで暦を生活の指針として行動してきました。たとえば、八十八夜(はちじゅうはちや)には、農家では霜の被害に備えをし、二百十日(にひゃくとおか)には、漁師たちは台風に気を配ってきました。現在でも、結婚式を大安に行ったり、友引には葬儀を出さないなど、暦の吉凶を気に掛けて生活をすることは意外と多いものです。
日本の神話の中で、天照大神(あまてらすおおかみ)が孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に国土の統治をゆだねますが、その折に、「齋庭の穂」(ゆにわのいなほ) という神勅(しんちく)を授けます。これがお米を大切にする日本人の原点であり、おまつりや伝統行事にも農業が今日まで深く関わっています。

農耕を生活の中心に据えて、四季の移ろいの中で自然とともに暮らしてきた私たちは、季節変化に敏感になり、大陸から伝わった暦を独自のものに仕上げてきたのです。社会の構造変化とともに核家族化が進み、世代間の絆が薄れゆく今日、「暦」が家族を結ぶための手引きとして役立つ可能性は大いにあります。

陰陽五行思想

陰陽説(いんようせつ)

「陰陽」とは、天地間の一切の万物をつくりだす陰と陽の二気のことで、森羅万象(しんらばんしょう)、宇宙のありとあらゆるものは、この2つの働きにより消長(しょうちょう=盛衰)したり調和して自然の秩序が保たれているという中国古代の哲学です。たとえば、天が陽なら地が陰、太陽が陽なら月が陰といった区分です。

五行説(ごぎょうせつ)

五行の「行」は、巡る・運行するの意です。天地間に循環する木・火・土・金・水の5つの気で、この5つの要素が万物形成の元素であるという中国古来の哲理です。「木」(もく)は立木の姿で春を、「火」(か)は火のような夏を、「土」(ど)は芽が出る季節の移り変わりを、「金(ごん)は鉱物が集まり実る秋を、「水」(すい)は生命の泉、胎内を表す冬の象徴となっていす。

この陰陽説・五行説が合体し、陰陽五行思想となり、文字が伝わるのと同じくらいの時期に日本に伝わったとされています。

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相生・相剋

相生(そうじょう)

陰陽五行思想には、五行のお互いの関係に互いに順応する「相生」(そうじょう)という関係があります。つまり、水気により生じた木気は火気を生じ(木生火もくしょうか)、火気は土気生じ(火生土かしょうど)、土気は金気を生じ(土生金どしょうきん)、金気は水気を生じ(金生水きんしょうすい)、水気は木気を生じる(水生木すいしょうもく)、というように無限に循環しています。相性がいいという言葉はここから生まれています。

相剋(そうこく)

一方、前出の相生に対し、相手を剋(こく)していく関係を「相剋」(そうこく)といいます。つまり、木気は土気に剋ち(木剋土もくこくど)、土気は水気に剋ち(どこくすい)、水気は火気剋ち(水剋火すいこくか)、火気は金気に剋ち(火剋金かこくきん)、金気は木気に剋つ(金剋木きんこくもく)という関係で、相性が悪いということになります。

比和(ひわ)

木気は木気を盛んにするというように、同じ気は益々盛んになりますが、万事良い場合はなおさら良いですが、逆に悪い場合はいよいよ悪くなります。これを「比和」(ひわ)といいます。

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十干十二支(じゅっかんじゅうにし)

十干(じゅっかん)

干は「幹」の意です。通常、干支(えと=十干十二支)は「えと」といいますが、十干の兄弟(えと)に由来しています。「え」は兄で陽性、「と」は弟で陰性を表します。

戦前の学校では、甲、乙、丙で成績が示されました。また、焼酎の分類にも甲類、乙類などが使われています。
また、兄(え)・弟(と)は五行(木火土金水)に配当すると次のようになります。

甲 きのえ木の兄乙 きのと木の弟
丙 ひのえ火の兄丁 ひのと火の弟
戊 つちのえ土の兄己 つちのと土の弟
庚 かのえ金の兄辛 かのと金の弟
壬 みずのえ水の兄癸 みずのと水の弟

読み方は「きひつかみ」と覚えると便利です。

十二支(じゅうにし)

十二支は、暦法で子(し・ね)丑(ちゅう・うし)寅(いん・とら)卯(ぼう・う)辰(しん・たつ)巳(し・み)午(ご・うま)未(び・ひつじ)申(しん・さる)酉(ゆう・とり)戌(じゅつ・いぬ)亥(い・い)の総称です。十干と組み合わせて紀年法(きねんほう)や記日法、また月名や時刻、位に使用されています。

<十干>
陽○ 甲(きのえ) 丙(ひのえ) 戊(つちのえ) 庚(かのえ) 壬(みずのえ)
陰● 乙(きのと) 丁(ひのと) 己(つちのと) 辛(かのと) 癸(みずのと)
<十二支>
陽○ 子・寅・辰・午・申・戌
陰● 丑・卯・巳・未・酉・亥

十干と十二支を組み合わせると、甲子から癸亥まで60の干支(えと)ができます。陽干と陽支陰干と陰支が結びつくので、“甲丑や乙子”などは生じません。紀年法では60年に一度巡ってくることになりますが、生まれ年の干支に還るので還暦(かんれき)または本卦還り(ほんけかえり)といいます。

十干十二支表を見る【PDF:372Kb】

方位

十二支では方位を表しますが、真北を子、真南を午、真東を卯、真西を酉となります。東西南北を四正(しせい)といい、その中間にあたる東北(丑・寅)、東南(辰・巳)、西南(未・申)、北(戌・亥)を四隅(しぐう)といいます。

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六曜(ろくよう)

暦註(れきちゅう)の一つで六輝(ろっき)ともいいます。中国の「六壬事課」(りくじんじか)と呼ばれる時刻の吉凶(きっきょう)占(うらな)いが伝わり、江戸後期に庶民の間で流行りましたが、官暦には記載されませんでした。昔は日の吉凶には暦注を組み合わせましたが今日の暦注では六曜が主役になっています。

先勝(せんしょう)万事急ぐこと。訴訟(そしょう)事は吉、午後何事にも凶。
友引(ともびき)祝い事吉、正午は凶。仏事、葬儀は大凶。
先負(せんぷ)万事控える事。公事、急用は待つべし。午後は吉。
仏滅(ぶつめつ)万事について凶の日。
大安(たいあん)万事について吉の日。
赤口(しゃっこう)万事について凶の日、ただし正午のみ吉。

六曜は、上記の順に繰り返されますが、月が変わると最初の六曜が変更されます。すなわち正月と7月は先勝、2月と8月は友引、3月と9月は先負、4月と10月は仏滅、5月と11月は大安、6月と12月は赤口から始まり、機械的に配当されています。但し、これは旧暦の朔日(ついたち)のことなので、現在の日付だけを追っていると、先勝の次に先負が来たりして仕組が理解できないことになります。

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二十四節気(にじゅうしせっき)

中国をはじめ日本や朝鮮など東アジアの諸国では、2千数百年もの間、太陰太陽暦(たいいんたいようれき)、つまり月の満ち欠け(朔望さくぼう)を用いて日を数える「旧暦」(きゅうき)を用いてきました。

12の朔望月(さくぼうげつ・新月から次の新月に、または満月から次の満月に至るまでに要る時間。平均約29日)を1年としますが、その日数は354・5日の為、実際より10日くらい不足します。それを補う為に、およそ3年に1回の閏月(うるうづき・12ヶ月に加える月)により、差違を調(ととの)えることができます。ところが、それにより季節と暦日(れきじつ)があわなくなります。そこで、季節を示す指標が必要となるわけで、それが二十四節気(にじゅうしせっき)になります。

二十四節気は、冬至を基点(きてん)として、1年を12の「中気」(ちゅうき)と12の「節気(せっき)に分類し、季節を表す名前が付けられていますが、古代中国の中心地(黄河の中下域)の気候を基準にしている為、温暖な日本とは合わない名称や時期もあります。しかしながら、四季折々の気象(きしょう)に富み、農業を中心とした生活を営んできた日本人にとっては生活の大切な指針として重視されてきました。

特に、冬至(とうじ)・夏至(げし)・春分(しゅんぶん)・秋分(しゅうぶん)の「二至二分」(にしにぶん)を軸にして、その中間に配した立春(りっしゅん)・立夏(りっか)・立秋(りっしゅう・立冬(りっとう)の「四立」を合わせた八節は、昔から暮らしの大切な目安となっています。

二十四節気一覧を見る【PDF:644Kb】

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国民の祝日

昭和の日

明治期には「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年太政官布告第344号)により、大正期は「休日ニ關スル件」(大正元年勅令第19号)により、昭和期には「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)により、「祝日大祭日」(祝祭日と略す)が定められていました。
祝祭日は、悠久(ゆうきゅう)の歴史を誇る皇室の祭祀と深い関わりをもち、祭日は「大祭」(たいさい)にあたります。祝日とされる「紀元節」(きげんせつ)、「天長節」(てんちょうせつ)も皇室祭祀では「紀元節祭」、「天長節祭」にあたります。天長節祭は祝祭日の中では唯一「小祭(しょうさい)となります。
戦後の昭和23年(1948)、「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の施行によって従来の「祝日祭日」(祝祭日)は廃止されることになり、「国民の祝日」に代わることになりました。
週休2日制が定着した今日、月曜日を休日とする事によって、土曜日・日曜日と合わせた3連休にして、余暇を過ごしてもらおうという趣旨で、いわゆるハッピーマンデー制度が導入され平成10年(1998)・13年(2001)に祝日法の一部が改正され、成人の日・体育の日・海の日・敬老の日がそれぞれ月曜日に移動しました。

祝日法の第1条には「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝」する記念日として「国民の祝日」の意義を定めています。

世界の国々の祝日がそうであるように、日本固有の歴史や伝統、文化に基づく大切な日の意味を正しく認識し、家族や地域で一緒にお祝いいたします。祝祭日には国旗を掲げましょう。

国民の祝日表を見る【PDF:960Kb】

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